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鹿児島家庭裁判所 昭和44年(家)816号 審判 1970年1月10日

申立人 渡辺良子(仮名)

事件本人 渡辺操(仮名)

主文

本件申立てを却下する。

理由

申立人は、「本籍鹿児島県川辺郡○○町○○○○番地筆頭者石本良子戸籍中、操の身分事項欄の認知事項を除き、同人の戸籍記載全部を消除し、同戸籍の末尾に同人の戸籍を父久保田浩治、母石本良子、父母との続柄二女として記載する戸籍訂正を許可する」旨の審判を求め、申立ての実情として別紙のとおり申立てた。

ところで、申立人良子に対する審問の結果及び関係戸籍謄本によれば、申立人は、昭和三四年六月一八日申立外久保田浩治と結婚したが、畳職人であつた浩治は、落ちつきがなく諸所の職場を転々とするうえ、金銭の浪費甚だしく、昭和三五年四月ごろ、家出したまま申立人のもとに帰来せず、以来双方間には全く性的交渉がとだえていること、昭和三六年八月ごろから申立人は、現在の夫である申立外渡辺博と交際し、双方間に性的交渉をもつようになり、申立人は、前記博の子として事件本人を懐胎し、昭和三八年九月二七日事件本人を分娩したこと、そこで申立人は、同年一〇年一〇日事件本人を非嫡出子とする出生届をなしたところ、八代市長によつて受理されたこと、なお申立人は、かねて前記浩治と協議離婚をするべく警察や市役所などに依頼して同人の行方を捜していたが、同人も申立人との離婚をのぞみ、その両親に印鑑を預けて離婚手続を依頼してあることが判明したので、昭和三八年四月一五日ようやく協議離婚届をすることができたこと、しかして、事件本人の出生は、前記協議離婚による婚姻解消の日から三〇〇日以内であることが、いずれも認められる。

上記認定事実によれば、申立人とその前夫浩治とが離婚届に先立ち、約三年以前から事実上離婚し、双方の間に全く性的交渉がなく、夫婦の実態は完全に失なわれていたことが客観的に明らかである。そうすると、民法七七二条による嫡出推定を受けないことはいうまでもないから、むしろ、本件戸籍記載は、真実の身分関係に合致し、したがつて戸籍法一一三条にいう記載の錯誤は、もともと存在しないというべきである。

もつとも、婚姻解消後三〇〇日以内に出生した子についてすべて嫡出子として届出をさせる戸籍実務の取扱(推定をうけない嫡出子にまで及ぶこのような戸籍行政事務の画一的取扱は、真実の身分関係との不一致を生み、決して望ましいものではないが、戸籍吏員に対し事実調査の権限が認められていない以上やむをえないところである。)からすれば、本件戸籍の記載はこれに反する記載であることは明らかである。しかしながら、事件本人は、たとえ嫡出子として出生届がなされたとしても、実体上民法七二二条による嫡出推定を受けないこと前記のとおりであるから、これに基づく戸籍の記載は、嫡出否認の訴によるまでもなく、親子関係不存在の判決又は審判によつて訂正することが可能であり、又当事者の一方が死亡している場合には錯誤すなわち真実に反する記載であることを理由として戸籍法一一三条による訂正も許される(なお、当事者の双方が生存する場合であつても、同条による戸籍訂正が可能であるとする説及び実務が近年有力となりつつある。)わけである。その意味で、事件本人を嫡出子とする戸籍の記載は、あくまで暫定的、仮定的性格のものでしかなく、できるだけ真実の身分関係に合致させることを目的とする戸籍制度の理想からすれば、真実の証明によつて早晩訂正されなくてはならないものである。 したがつて、かりに本件申立を認容し、行政実務の取扱に即するよう戸籍の訂正をしたとしても、その結果は、かえつて真実に反する記載となり、親子関係不存在の裁判ないし戸籍法一一三条により戸籍の再訂正をする必要に迫られるわけである。訂正の結果がさらに訂正の必要を生み、再訂正の結果が、結局現在の戸籍記載と同一の記載に帰するというならば、本件申立許可による戸籍の訂正は、手続経済に反する無用の手続というべきであろう。

そうすると、本件申立は、そもそも戸籍法一一三条にいう記載の錯誤に当らないばかりでなく、これを認容するにおいては、将来無用の手続を反覆させる結果となり、しかも申立人及び事件本人にとつて何らの実益ももたらさないというべきであるから、すべて理由がないものとして、これを却下することとする。

よつて、主文のとおり審判する。

(家事審判官 橋本享典)

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